捏造
今日のニュースで、韓国の英雄的科学者と見なされていた研究者の研究が、実は、捏造だったらしい、と発表された。ヒトES細胞を受精卵ではなく、ヒトクローン胚から造る、という画期的な研究のはずだった。韓国の科学の発展はめざましい。捏造などしなくても、ノーベル賞クラスの研究者は育ったはずだ。なにも、国を挙げて彼をヒーローにしなくても、科学は育まれたはずだった。
昨日はNHKで、常温に近い温度でなされる超伝導についての捏造を特集していた。主犯とされた研究者がまだ若干29歳、誰も彼の実験を見届けておらず、共著者も3人くらいの発表で、2年間にネーチャー、サイエンスクラスのジャーナルに17報出したという。からくりが見抜けなかった方が不自然な事件だった。物理化学では、常温核融合スキャンダルが10年ほど前だったかに起こっている。追試が出来ないのだから、捏造が見抜かれるのは時間の問題だった。それなのになぜ、捏造は繰り返されたのか。
翻れば、我が国でも、考古学の世界で大きなスキャンダルがあった。問題となった市民研究者の発掘が正しければ、日本人のルーツだけが、世界の「アフリカ起源説」からはずれ、著しく進歩した民族である、という暗示さえ与えるものだった。しかし、分子遺伝学が発達した現代で、こんな考古学的見地が他分野と協調するはずもない。生化学者としての自分から見れば、こんな研究がなぜ一人歩きしたのか、とても疑問だった。
そもそも、科学界における捏造とは何なのだろうか。人は、自然の中で、その脅威にさらされながら進歩を続けた。科学は、自然の驚異に対する挑戦であり、それとともに、自然への憧れ、探求でもあっただろう。しかし、そこに捏造という要素が入れば、科学の魔力は曇り、意味のない迷路に入り込む。入り込んだ迷路には真実はなく、真実の力無しに科学は命を持たない。
それを知りつつ捏造が繰り返されるのはなぜか。そこは、あまりにも科学の世界が人間くさいからか。科学の世界は、自然現象に向き合うだけでは成立しなくなっている。予算が必要で、それにともない、権力や政治力が要求される。日本でもその傾向は非常に強くなりつつある。自然への曇りないまなざしだけでは、すでに科学は存在できないのか。おそらくそうなのだろう。しかし、自然へのまなざしなしに、科学自体存在し得ない。自然に対する敬意を失わず、謙虚さを持ち続ける、一見捏造防止とは関係の無いように見えるこのことこそが、捏造を防ぎ、科学の進歩を後押しするものなのかもしれない。
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